銭形平次で有名な往年の時代劇スター、大川橋蔵さんと京本政樹さんの師弟物語をBSの番組でじっくり観ることができました。橋蔵先生の話はこれまでにもよく京本さんが語られていたけど、聞いたことのない話もたくさん出てきたし、お静さん役だった香山美子さんとか、銭形平次の監督さんとかも出られてて、京本さん自身も初めて知るような内容もたくさんありそうでしたね。
京本さんが京都で橋蔵先生にまつわる京都の場所を何箇所か旅しながら、橋蔵先生に教えられたことを語ってくれました。
最初の祇園辰巳神社は、橋蔵先生と来たわけではないのだけど、1967年の映画版銭形平次に登場した場所で、今も全く変わらない景色なんだって。
「お友達とかも必ず連れてきますよ。映画観て観て!って」
なんかファンみたいで微笑ましいよね。私も京都行った時、修羅之介がいた糺の森の石の前行った時めっちゃテンション上がったからね!
ふたば菓舗うずまさ庵は橋蔵先生の好物のおはぎなどを売ってたお店。橋蔵先生もだし、若山富三郎さんもおはぎとか甘いものが大好きなんだよね♪
橋蔵先生、この店のおはぎが大好きで、銭形平次の当時、
「無理やりではないけど、要するに大先輩じゃないですか。食べるか?って言われたら、あまりそこに長居するのもなんだし、早く帰らなきゃ!と思って急いで食べると、「好きなんだね!」って言われてもうひとつもらうという(笑)」
橋蔵先生が京本さんをかわいがってくれたのがすごく伝わるエピソードです。
ふたば菓舗の女将さんが橋蔵先生のこと「凛とした美しさですね」って言ってたけど、そういう俳優さんって今本当に少ないよね。
太秦映画村。私が中学の頃マサキに会えたかもしれないのにニアミスした映画村です(久々に思い出した)
あーマサキが今、時代劇を撮影してたら、今なら太秦まで簡単に行かれるのに(><)
森田健作さんが橋蔵先生に紹介してくれた話もしてました。時代劇役者京本政樹の原点になった橋蔵先生の元を辿ると、紹介してくれた森田さんにたどり着くし、更に元を辿ると、そもそもマサキがモリケンのファンだったことに戻るんだよなあ。もうなるべくしてなったと言っても過言ではない運命だ。。。ホントこれってすごいエピソードですよね。
銭形平次の監督の久郷久雄さんが出られて、善太をやってたときの京本さんのこと「細かったもんね。魚屋の半纏一枚でかわいそうだった」って(笑)
当時、久郷さんのことちょっと怖かったって言ってたけど、
「かわいそうって思ってくださってたんですか(笑)」
って意外そうだった。怖かったって言ってたけど、でも京本さん曰く、
「ボク生意気でしたよね。久郷さん、久郷さん☆って寄っていって、久郷さんが『何やおまえー(笑)』みたいな」
って、人懐っこいというか、前にどこかで「怖いなーと思う人にあえて近寄っていくんだ」って言ってた話、その通りだったんだなあと思いました。でもそうは言っても久郷さんも、今のマサキを見ても、当時のこと思い出しながら可愛いって感じだったなあ♪
しかし久郷さんと写真写ってる善太姿のマサキ、、、善太って映像だといつもすっ飛んでるキャラだけど、こうやって写真で見るとやっぱり顔立ちが美しいなあ。。。
橋蔵先生に出会う前の「江戸の牙」のジュンの写真と、メイク指南後の善太の写真並べると、メイクもだけど、立ち姿がもう全然違うもんね!しかし、厳密にはこの後で、里見八犬伝とか仕事人になってどんどん変わっていくのだけど、もう善太の時点で、京本政樹完成してるのがすごい。江戸の牙の時は全然違うのだけど、善太になると、ああ今の京本政樹の面影ある!って感じだもんね。でも善太ってキャラがホント可愛いから大好きだわ。
因みに善太を説明するなら
- 「おやぶーん!!!」っていう声がでかい。
- 魚を売ってる最中に事件にでくわし、魚を忘れてくる。
- 「◯◯ちゃんを助けに行ってくる!このやろおおお!!うわあああああ!!(何故かちょっとこけただけでめっちゃ流血してる)」
- 恋すると頭に風車挿してキーーーーン!ってアラレちゃんみたいに走り回る
- 突然の女装
- いなくなったと思ったら、里見八犬伝を経てめっちゃ美剣士っぽく完成して最終回に帰ってくる
こういうイメージです。っていうかこうです。善太、かわいいよ善太。
久郷さんと一緒に、橋蔵先生がメイクを和紙に丁寧に描いて伝授してくれた思い出話や、「真似をすることから学ぶことを、まねぶ、というんだ」って教えられた話をしていたけど、
「この、まねぶ、ということが大切なんだ!」
っていうときの声が、愛した分だけパート2のノアさんとのコントコーナー(コントではない)の
「シャンプー&リンスというのはどうだ!」
っていう言い方にそっくりでドキッとしました(内容全く関係ない)。今、20代のマサキが見えました。
橋蔵先生が幼い頃に歌舞伎に入門した時の話から「まねぶ」というやり方の原点が語られていて、六代目尾上菊五郎さんに
「教わって覚えることは誰にでもできる。見て覚えなさい。芸は盗むものだ!」
って言われたという話があったけど、すごい世界だなあ。。。教わって覚えることは誰にでもできる、って言われると、教わっても覚えられない私にはすんごいぐさっときます。
そんな苦労して学んだことを京本さんに教えてくれたのも、久郷さんは
「自分の若いときの姿形を京本に写して、正統派の時代劇二枚目が少なくなって、自分がやってる感じの役をやれるのは京本政樹しかいない、跡を継いでほしかったんちゃうかな」
って。久郷さん、善太の後、時代劇役者として正統派二枚目美剣士役を演じ続けていく京本さんのこと、観てくれていたのかな。
橋蔵先生は、殺陣師の谷明憲さんの立ち回りをちょいちょいっとやっただけで、すぐ本番になるとか、久郷さんが見ていたところでは、カメラの後ろにいても、後ろに目がついてるみたいに全部見えてるとか。
「なるほど、それは久郷さんしか知らないね♪」
ってマサキの言い方がすごい楽しそうで可愛かったです。
ここで、橋蔵先生の溜めの立ち回りを、歌舞伎ぽい見栄を交えて再現するマサキがめっちゃ美しいのだわ。普通のファッションなんだけど、この瞬間に美剣士に見えてくるからすごい。やっぱり時代劇の所作がすっかり身に染み付いてるなあ。
かげろう忍法帖の名張の翔で、かなり橋蔵先生の銭形平次をかなり意識したらしい。うわあ久々に翔さま見たけど、やっぱ大好きだわ!ホントかっこいい!リアルタイムで観てきたけど、この時まだ36歳だよね??あの時は自分が子どもだったから思うはずもないけど、今となってはめっちゃ若いよなあ。というか、30歳のときの大江戸捜査網で既にマサキの殺陣ってすごかったんだから、改めて考えるとホントすごい。。。まだ時代劇に行くつもりが全然ない善太の時から8年くらいで「時代劇俳優」になってるんだからすごい。
橋蔵先生が実際に使ってた銭形平次の十手を初めて持ったという京本さん。感激しただろうなあ。この十手の形が六角形で、キラーン!って光るような作りにしたとか、二丁十手を考えたとか、橋蔵先生のアイディアがホントすごい!
美剣士のポニーテール鬘も橋蔵先生が考えたというのだからすごいよね。今となっては美形キャラのお馴染みみたいになって、アニメなんかでも普通に出てくるのだから、すごい功績です。
子供の頃から私は京本政樹のポニーテール美剣士姿をたくさん観てきたけど、本当にどれをとっても美しかった。その時はまだ京本さんが橋蔵さんの弟子だってことも知らなかったけど、橋蔵先生が編み出した姿がしっかりはまっていたんだなあと、改めて考えるとすごい。
焼肉屋さんの有楽って、マサキが無駄に狭い裏路地から入ってく店?違うとこかな。
ここで制作進行の藤井さんと再会。橋蔵先生と藤井さんは「社長」「ボンちゃん」って呼び合う仲なんだけど、当時20代のマサキが、若干気を遣って(笑)「ボンさん」って呼んで「ボンさんって言うな!」って言われてた話、ほっこりする(笑)
ここでも橋蔵先生の気配りの話がたくさん出てきて、藤井さん曰く、橋蔵先生を筆頭に会社だとすると、ワンマン社長じゃなくて、みんなの意見をきいて、中間にいてみんなで作っていこうっていうタイプの社長で、差別をしない人だという。橋蔵さんの
「並でいたい。でも並でいることは難しいんです」
っていう言葉があるそうです。
若い頃は多くの人が「普通でいたくない」と思ったことがあると思うけど、30代の今なら「普通でいることの難しさ」ってすごく実感しますね。
しかも、スターである橋蔵先生が「並」でいるというのは、レベルを落としすぎるでもなく、スター気取りをするでもなく、そういう一定のラインを保つという意味での並で、確かに難しそうなことだなと思います。ある意味、並を保つというプロ意識ですよね。
そんな橋蔵先生が、銭形平次最終回から1ヶ月後に肝臓がんが発覚。私はギリギリ橋蔵先生の銭形平次をリアルタイムで観られなかった世代なのですが、京本さんと同世代のうちの母の話で「大川橋蔵って、(亡くなったのが)銭形平次が終わってすぐだったよ」って聞いていたので、そのことは知ってました。
病床の橋蔵さんに必殺をやることになった報告と、
「シケを垂らすんだ」
って最期にアドバイスしてもらった話を聞く度に、里見も、必殺も、橋蔵先生に報告できてよかったなあ(;;)って思いました。残念ながら、組紐屋の竜の姿も、そこから京本政樹がスターになっていく過程も橋蔵先生は目にすることはできなかったのだけど、、、往年のスターの最後の最後に残したスターだっていうことが、すごいなあと思います。橋蔵さんの最後の言葉から生まれたのが竜のスタイル。鬘も信乃をちょっとアレンジしたところからできてるし。本当に大川橋蔵さんが京本政樹の原点に間違いないですよね。
最後に銭形平次といえば神田明神。なんだかんだの明神下の平次ですから。
橋蔵先生が神田明神記念碑設立の発起人の一人でもあるんだって。
そこで、30年ぶりに、お静役だった香山美子さんと再会!うわあ、結構お歳なはずなのにやっぱり綺麗な方だよね!!
そんな香山さん、30年ぶりに善太と再会して
「うわあ京本さん、大人になっちゃったのね!!」
「大人以上です(笑)」
って二人で会話してるのが、本当に大人の再会で素敵でした。
そんな香山美子さんも、銭形平次シリーズの途中から参加した女優さんで、初めての時から橋蔵先生に居場所を用意したもらったというエピソードが素敵でした。
そうかあ、私はマサキが出るところからしか観たことないので、もう既に違和感なく親分の奥さんな香山さんしか知らないのだけど、そういう時があったんだねえ。
いつも静かに親分の後ろとか隣にいたお静さんだけど、そんなお静さんだから感じる、橋蔵先生の流し目。お静さん、いつも一番そばにいるから、流し目浴び放題だったろうね!香山さんもたまらなかったみたいでした。
橋蔵先生も趣味人だったみたいで、香山さん曰く
「あの方には退屈な時間がないんです」
って。宝石を作って研磨したのを香山さんにプレゼントしてくれたり、楽屋でろくろ回してたり、本当に一秒を無駄にしない生き方をされてたんだなあって。若くして亡くなられてしまったけど、ご本人はすごく充実した人生だったかもしれないね。
そして、そんな趣味にも時間を惜しまないところも、マサキに似てる(^^)
香山さんが橋蔵さんの思い出話をしてる時のマサキが、何も言わずに黙って微笑みながら頷いたりして聞いてる顔が、ただただ美しくて、あどけなくて、素敵すぎでした。なんか、昔話を楽しそうに聞いてる少年みたいな顔がすごく美しくて。。。
最後に京本さんが
「橋蔵先生って、歌う映画スターを目指してたらしいですよ」
って言ったら、香山さんがめっちゃツボってたけど、そんなに意外なのかな。前に「映画ほど素敵なものはない」って番組でマサキが出た時に、橋蔵先生が劇中で詩吟をやりながら人を斬る映画やってたのを観たことがあったので、歌は得意なのかなと思ってたのだけど、なんかツボっちゃうような感じなのかなあ(笑)
今、当たり前に京本政樹という俳優のファンだけど、こんな素晴らしい逸材を見出してくださって、、育ててくださって、、残してくださって、、橋蔵先生、本当にありがとうございます!!
京本さんも最後に言われてたけど、
「人生は人とのつながりでできてる。色々な人とのつながりで導かれてきたんだなという旅でした」
常に京本さんは、人とのつながりを大事にされてるから、改めてその生き方はすごいなと思うし、きっとこれからも人との出会いやつながりを大事にして行かれるんだろうなと思いました。
しかし、久郷さんといい、藤井さんといい、香山美子さんといい、善太と30年以上後になって二人で思い出を語り合うことになるなんて想像してただろうか。楽屋でギター弾いて怒られてたほっそい少年と(笑)
師弟物語。大川橋蔵先生の役者人生と人となり、時代劇役者京本政樹ができるまでの歴史と、すごく濃い番組でした。
なんでこういういい番組がBSなんだよー!地上波でやってほしかったわー!
あと、やっぱり年上の人たちに可愛がられながら美しい敬語でにこやかに話すマサキって大好きだなー☆