しない善よりする偽善?

そんな言葉があるけど、私はその通りだと思う。
だって、そのお金の価値は変わらないから。
最近流行り?のアイスバケツチャレンジなんてのが賛否両論になってるけど、あれの問題点は「遊びで寄付金を集めてるから」というところじゃないと思う。
私の思いでは、そこは全く問題ない。実際にそこで集まった寄付金は「寄付金」であり、どんな寄付金でも「~円」は~円の価値があるからだ。

ただ個人的に引っかかるのは、あれって

「氷水をかぶらないで寄付する」
「氷水をかぶって寄付しない」
「両方やる」
「両方やらない」

っていう選択肢なんだよね?
あれ??最終目的は寄付させることじゃないの??氷水かぶるかかぶらないかのチャレンジになっちゃってる気がする。逆に一部の人の寄付する気を削いでないですかね??
それなら、チャリティコンサートやらチャリティマーケットやらもっとダイレクトな方法がたくさんあるんじゃないのかな。。。
方法は関係ないとは日頃思うけど、これはちょっと逆効果な部分もあるような気がするんです。もちろん、それで集まったお金にはちゃんと寄付金としての価値があります。
これを考えた方も、なんとかして少しでも多くのお金を集めたかったんでしょう。ただ、お気軽にお金を集めるにしても、ちょっと違うやり方のほうがよかったんじゃないかなあ、、と個人的には思うんですよね。なんというか、「伝わりにくい」かな??寄付なのかなんなのかさえなんとなくぼんやりしちゃってる気がする。なんだろう、、、上手く言えないけど、「寄付をする」という目的以外に、「氷水をかぶるかかぶらないか」というインパクトのある選択肢が二つも出ちゃってるし。

チャリティコンサートなら、たとえお客さんが全員寄付目的でなかろうと、100%お金が行きますし、そもそもチケット代が寄付になるとわかってみんな行くわけだから強制でもない。

アイスバケツチャレンジは、ゲームを受けることそのものが強制になってる気がするんです。「指名」というのをされたら、何もしたくなくても「両方やらない」という選択肢を選ばざるを得ないのだよね?チャリコンみたいに、私行きます!っていう人が率先して100%行くのと違って、余計な選択肢を選ばざるを得ない。そうするとどんどん「寄付」という目的から遠ざかっている。ここまでしないと寄付までこぎつけられない??というのが個人的に引っかかってしまっています。
寄付をしない人がいてもしょうがないじゃない。できない人も当然いる。そんな中で、寄付しない人を篩い分けるより、少しでも多く寄付する人を集める方法を考えたほうが効率的なんじゃ、、、と思ってしまうのですよね。

だから、仮に●時間テレビを多くの人が「偽善番組やめろ!」と言おうが、本当に寄付を多く集めて届けたい気持ちが制作者にあるなら、そんな声はお構いなしに続ければいいんです。乱暴な言い方をすると、見たくなければ見なければいいだけ。その番組自体「チャリティ」目的ということは一目瞭然だし、もしも出演者の中にそういうことに興味がない人が出演しているなどとしても、そこにお金を寄付してくる人たちは、100%寄付したいからしてる人たちじゃないでしょうかね。
私もあの番組は構成内容があまり好きではないのだけど、番組をやめろとは思わないのです。事実寄付が集まっているんでしょうから。色んな噂もありますがそれがどっからどこまで本当なのかは一切わかりませんので、寄付は寄付として届けられているという前提で話しています。
その番組内容が「偽善かそうでないか」は、寄付するしない、の次の時点での論争じゃないかね。この番組が集めるお金の額を考えて、この番組がなくなったとして、その分を埋められるチャリティ方法はありますかね?

アイスバケツチャレンジもね、危険な部分がなければ偽善だろうが遊び目的だろうが続ければいいと思うんです。実際お金も集まってるんだし。たださ、さっき書いたように、わざわざ指名して、寄付しないという選択肢まであったりして、逆に寄付から気持ちを遠ざけ得る部分もあるように思えてしまうのが気になるし、あと物理的にこれって誰か心臓麻痺起こすんじゃね???プールだってちゃんとちょっとずつ浴びてから入れって言われるのにさあ。。。なんか、寄付どうこう以前に色々心配な運動。。。もうちょっと穏やかに、ダイレクトな寄付活動は流行しないもんでしょうか。。。

 

本当なら私がこんなぐだぐだ書いている時間すらすごく無駄なのだけど、ずーっと昔から引っかかってた上に、ここにきてのこのチャレンジブームで、色々モヤモヤして吐き出したかったです。