映画『凶悪』見てきた

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公開中の映画です。
山田孝之・リリーフランキー・ピエール瀧が出演する、実話の事件を元にしたフィクション映画。
詳しい内容は見ていただきたいんですが、実話だというのに、まるで世にも奇妙な物語を見ているような感覚。これが実際に起きたことなのかあ、怖いなあ。。という感想は見終わってからしばらくして落ち着いた時に出てきたものです。
見ている間は変な話、普通のサスペンス映画のような見方で引き込まれてしまった。
いやあ、、何よりもピエール瀧の演技がすごいよかったなあ。。。
というわけで以下ネタバレになります。
あと、この映画はR指定になりますので、あらすじ、感想もそういう感じになっております。
この先読み進めるかは自己責任でお願いします。












山田孝之演じる週刊誌のジャーナリスト藤井の元に一人の死刑囚から手紙が届く。
差出人は元・暴力団組長の須藤。
手紙の内容は、自分には警察にまだ立件されていない三件の余罪があり、その首謀者で自分が”先生”と呼んでいる男が罪にも問われずのうのうと世間で生きている。その先生が許せないのでなんとか自分の告白を記事にして先生のことまで世に知らしめてほしいというもの。

最初はただの作り話かと思って、編集部の上から相手にされなかったが、記者の藤井が気になって独自に調査を進めながら、面会を続けていくと、確かに事実だと確信する。
“先生”は不動産ブローカーなのだけど、老人ホームの職員と結託して、身寄りがなかったりする、そういう案件にもってこいの老人を見つけては殺し、金に変える。

一件目、二件目の老人殺人は証拠が見つからず、最後まで立件できないのだけど、三件目が家族依頼による保険金殺人ということで、そこから依頼した家族全員と先生が逮捕され、裁判にかけられる。

そういう流れなのだけど、先生に翻弄される須藤の心の変遷が哀しくもあり怖くもあり。
情に熱く仲間思いの須藤を利用した先生の鬼畜さ。とにかく、須藤は熱い人ではあるんだろうけど、悪く言えば単純バカ。先生に言われたからといって、自分が一番可愛がっていた舎弟まで最後は殺してしまう。先生と一緒に組んで美味しい思いをしてきたのに、最後は先生の手によって破滅させられる。そしてその先生をこの世で一番憎んで全力で吊るし上げようとする。
なんだかバカすぎて可哀想、、と思っていたのが、藤井が面会を重ねる内に違和感が出てくる。

「キリスト教に入信しました」
「ペン習字を習いました♪」(明らかに手紙の字が綺麗になってる)
「先生のことを短歌に詠んでみました」(字余りで大した内容ではない)
「牧師さんが、『あなたは生きて償いなさい』って言ってるんですよ♪」(完全に洗脳されている)

最初は、先生が捕まらなければ、自分が騙されて殺してしまった人たちが浮かばれないと嘆いていたはずが、自分だけが宗教にはまり、どんどん充実した心に染まっていく。その姿を見て、藤井は許せなくなっていく。

その藤井本人は、妻が一人。痴呆症の母が一人。
母の介護は完全に妻に任せっきりで、藤井は先生の事件を追うあまり、妻と母のことすら眼中にない。

「あたしお母さんに殴られてるの見てるでしょ?」
「あたし本当はお母さんを殴ってる(泣)」
「もう疲れちゃったよ。。。」

という妻の声さえも、追っている大きな事件にかき消されて無関心。
介護疲れの妻の叫びさえも、殺された人たちに比べれば!!と叱り立てるくらい狂っている。
そう、主役のジャーナリストさえも狂っている。

最後、思い通りに先生を法廷に出すことができるが、須藤は懲役20年で宗教にはまり、最初のような反省の気持ちとは明らかに違う様子だし、先生は先生で、まったく反省してないし、証拠がなくて他の罪までは確証できないために刑は軽く、余裕。
そこで、
「一番私を殺したがってるのは、(笑いながら藤井を指差す)」
そこで気づかされたのかな。ある意味、無関係だったはずの自分が、そこまで狂わされていたことに。
最後は、妻と一緒に母を老人ホームに連れていくシーンがある。
妻が言っていたが、藤井は自分の母を老人ホームに入れることに罪悪感を持っていた。
代わりに介護を毎日していた妻は、殴ることさえ罪悪感もなくなってしまうほどに疲れた。
「自分はそういう人間じゃないと思ってたのに。。」
と妻は嘆いた。

罪の意識。

これがこの映画の主題なんだろうな。
意識というだけあって、本当に「気持ち次第」でどういう方向にも転ぶ。
事件は事件として確立しているけど、それぞれの気持ちの変化は、事件の有無とはある意味まったく関係がない方向に向かっている。事件の内容ではなく、事件を取り巻く人物たちの現在の気持ちにそれぞれが翻弄される。
最後、先生を立件し、週刊誌は当然バカ売れするが、藤井はまったく嬉しくない。
罪もない人を数人殺したのに平然としている先生と須藤。被害者だと思っていた須藤にさえ、裏切られた気持ちになっている。
自分が今までやってたのは意味があったんだろうか?
というような、面会を終えて不気味に去っていく先生を見ながら、残された藤井自身が、囚われているかのようなカメラワークで映画が終了。
とても後味が悪い。
後味のいい映画だとは思わなかったけど、すごくもやもやとする。でもとても描き方ははっきりしていて、内容がわかりにくい部分はなかったので、ある意味、「面白い」映画だった。

ここからはちょいちょいツボだったシーン。
須藤には妻?なのかな、一緒に暮らしてた女の人とその間に子供が二人いたのだけど、その女の人がすごくいいんだわ。
明らかにそういう人と一緒になりそうな雰囲気なんだけど、どこかいい人というか、人情厚そうで、ああ引っかかりそうだなという感じ(笑)
その娘が「キラリ」って名前で、DQNネームだなあというとおりの不登校のヤンキー娘っぽいのだけど、回想シーンで、先生から須藤がお金をもらって、クリスマスパーティでランドレスをもらうシーンがあるのだけど、その時のキラリはすごく普通の可愛い小学生の女の子なんだわ。まあたまに札束のタワーで遊んでたりしたけど。で、そんな生き方が影響してか、現在はああいう感じ。色んな人間の人生を変えたなあというのが伝わるシーンの一つ。
でも一応カタギとして奥さんと一緒に暮らしてるからって、須藤は縁を切ってあげたっぽいのね。まだ宗教にはまる前だったから。
あ、そうそう。そのクリスマスパーティの前に、先生と須藤が焼却炉殺人を実行してるシーンで、死体を切り刻んでる次に七面鳥食べてるのがすんごいシュールというか、まあそうやって描きますよねーというか、ある意味王道展開(笑)
恐ろしいことに、こんな恐ろしい事件の映画を見てるのに、ちょいちょいちょっと笑える感じの演出を入れてくるんだわ。
先生が保険金殺人のために、おじいさんに酒をガンガン飲ませながら、スタンガンでバチバチやるんだけど、先生が
「ちょちょちょっと私にもやらせて♪♪♪」
ってルンルンでスタンガンバチバチ。しかも長い。
「先生長い長い長い!!www」
みたいなノリのところがある。もちろん、笑っちゃいけない内容なのはわかるんだけど、、それが、人を殺すことを何とも思ってなかった先生たちのクズさのアピールでもあるし、飽きさせないために色々工夫した演出になってるなあと関心すらした。

ああ、須藤は自分が強く絆を感じた人間以外は、本当に人間として感じてなかったんだなあ。裏切られることが嫌いって、舎弟を殺した時だけは唯一涙を流したけど、それ以外は、鶏肉とかを切るような感覚である意味楽しささえ感じながら老人を虐殺していく。先生がそういうなら正しいんでしょうくらいの気持ちなんだろう。で、その先生が自分を裏切ったとわかったので、その怒りが爆発してあの告白になったんだろうな。で、ある意味ぶれてないんだけど、終始、単純バカなので、刑務所で宗教に入っていくうちに、どんどん簡単に洗脳されてしまって、当初の目的まで曖昧な感じになってしまっていた。
すごく、愚かな人間たちがたくさん出てくるのだけど、どこか他人事とも思えないような、身近さを感じてぞっとしてしまうようなそんな映画だった。
須藤を演じるピエール瀧の演技がすごいよくて、須藤の単純すぎて、自分が信じた何物にもすぐに染まってしまう感じがすごかった。染まりすぎてて、最初は単純すぎて可哀想とさえ思ったくらいなのに、最後宗教にはまって自分だけ充実していく辺りは、もう憎たらしいくらいだった。多分、藤井の気持ちがこれなんだろう。

あと、唯一先生の悪行を証言できる、老人ホームの職員の男がいるのだけど、その人物に藤井が証言を求めようとする矢先、警察も調査していることに気づかれ、走っていった先で事故死。
ここはすごく2時間サスペンス調の展開なのだけど、事実なんだろうか?これは流石にフィクションだよね??あれが先生の手先ということでもなさそうだったし。。
原作本があるということなので、とても気になっている。今度読んでみよう。。

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