続・募金の話

この記事は約4分で読めます。

テレビで見ましたが、寄付をしたというブログを書いた芸能人に「自慢か」みたいな批判がたくさんあったってニュースを見て、なんなん??って怒りを覚えています。

多額の寄付をしたという報告によって、一般人は「たったの100円だけど自分も募金しようかな」と思うかもしれないし、それを見た他のお金持ちが「じゃあうちはもっと出そう!」と奮起するかもしれない。

なのに、こんな批判ばっかりされたのでは、寄付を呼びかけたりしたい有名人が出るに出てこられなくなってしまうのではないか。

大体、他人がそういうことをしているのを見てマイナスに捉える意味がわからない。寄付や募金を何か特別なことだと勘違いしてないですかね?

小さな話に置き替えれば、「親切」っていうのは、自分がしてもらって初めて「ありがたい!」って特別に思うものであって、自分が誰かにするのは特別でもなんでもないですよね?他人の善意を素直に喜べない人って、普段から自分が他人に親切にするのは見返りを期待してのことなんでしょうか?

 

話題になってた紗栄子さんは、ブログに振込明細を載せたことが特に批判を呼んだらしいですが、それも変な話です。もし、ただ「500万円寄付しました!」っていう文章を見たらきっと「本当にそんなに寄付したの?」なんて言う人が出てくるでしょう。募金額報告はみんな求めますよね?実際にそれだけ募金されたのかって。それと同じじゃないですかね。

 

芸能人はよくチャリティオークションやイベントなどを開きますが、それはその芸能人の知名度を利用することによって、より多くの人に関心を持たせ、寄付額を増やそうとするものですよね。もしそういう存在がなければ、恐らくもっと支援の力は小さいでしょう。

そもそも批判するような人は、有名人というものに対して良い感情がないのかもしれませんが、いつも結果を想像してほしい。

毎度出てくる言葉ですが「しない善よりする偽善」とはよく言ったものです(※紗栄子さんが偽善という意味ではありません)

結果として500万円寄付し、それを人に知らしめて世に寄付というものへの関心を与えた人と、その人を批判して寄付を公表したり呼びかける行為を萎縮させてしまう人、実際に被災地の援助になるのはどっちですか?

最終的に誰にも与えられないことを言って、他人の支援を邪魔しようという言動こそが、私は「偽善」じゃないかと思いますね。

杉様こと杉良太郎さんはいろいろなボランティア活動でお馴染みですが、「偽善や売名」と言われることについて記者に聞かれ、「売名ですよ。だったらあなたも多額を出して売名すればいい」的なことを言ったそうです。他にも「ボランティアできる人はしたらいいし、できない人はできる人に敬意を払えばいい」っていう言葉もとても印象に残りました。

 

お金持ちがいなければ、多額の寄付が被災地にいくことはないですよね。私は情けないことに何百万も寄付できる財力がないので、その代わりに巨額の寄付をされている方や企業には本当に敬意しかありません。

本当に困っている方々のことを思うなら、有名人が支援の活動をすることを軽々しく批判したり、邪魔をするようやことはしないでほしいです。痛ましい災害の光景やニュースを目にしていますよね??あんな目に遭ってる人たちが救われるためなんです。寝ることも食べることも飲むこともままならない、まさに生死に関わる状態なのに、誰は偽善だの売名だの、黙って寄付するのが日本人の美徳だのとくだらないことを言ってないでください。そんな暇があったら100円でも募金してください。杉様が言うようにその募金もできない状態なら、寄付やボランティアされてる方々に敬意を払っていてください。

 

東日本大震災以来、関東も微震が続いています。最近もちょこちょこと揺れる頻度が増しています。また5年前を思い出すと怖いです。次は南海トラフか、首都直下型かなんて言われてるので本当に怖いです。

今の熊本、大分の方々や、5年前の東北の方々などは実際に体験しているわけだから比べ物にならない恐怖と不安だと思います。常に私は思いますが「想像力」を働かせてください。そうすれば自ずと、今くだらない理屈を捏ねてられる事態ではないことがわかるはずです。

いつも能天気でアホなブログなのに、ちょっと文章がきつくなってしまった部分もあると思いますがすみません。でも、ブログやSNSが普及してから日に日に悪化していく、思いやりと想像力のない書き込みの数々を見かけていると、すごく不快で眉間にシワが寄ってしまうのです。

これだけ影響力の大きいインターネットの力が、人間にとってプラスの方向に効果を発揮することはできないのでしょうか。。。

タイトルとURLをコピーしました